「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」マルコ 16:17-18
病人に手を置くのは「信じる人々」です。多くの場合、「信じる人々」が病人に手を置かないので癒しが見られないのです。ちょうど、福音を宣べ伝える者がいないのなら福音は知られる事がないのと同じです。神様だけが直接、人を救いに導く事はあまりありません。福音を宣べ伝える信者の口を通して神が働き、未信者は救いに至るのです。病人に置かれる信者の手を通して神が働き、病人は癒されるのです。
意外に多くの人たちは、神様が私たち信者を通して働かれる事に気付いていません。もっぱら神様の主権によってこの地上で起きる全てがなされていると思っています。
「弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。」マルコ 16:20
もし、大宣教命令を受けた弟子たちが出て行かなければ、主は彼らを通して働く事はなかったでしょう。そして、御言葉に伴うしるしをもって御言葉を確かなものとされる事もなかったでしょう。
恵みは神からのものですが、その恵みを信じて受け取るのは私たちです。そして、信仰によって人々を助けるのも私たちのやるべき事です。癒しを求めるとは、ただ主にその決定権を任せるという事ではありません。しかも、主の御心は全ての病を癒す事なのです。例外はありません。主は永遠の命を与えても、癒しは条件と例外付きで難しくしていると考える人は多いのですが、主は「羊たちが命を得るため、それも豊かに得るため」に来られたと言いました。「永遠の命だけで満足しなさい」ではなく、その永遠の命が豊かに得られるようにです。