2021年8月13日金曜日

癒しに関する聖書の重要な言葉

「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。」イザヤ 53:3-4

私たちの病を負ったのは誰でしょうか?使徒マタイはキリストの贖いについて書いてあるイザヤの箇所を知っていて、次の様に書いています。

「夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」マタイ 8:16-17

キリストの贖いの業はイザヤによって預言され、イエス・キリストによって成就されました。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」イザヤ 53:4-5

「私たちの咎の為に砕かれた」とあるように、ここでは私たちの罪について言及しています。また、どの様にしてイエス様が病を背負ったか詳しく書かれてあります。それは、受けた打ち傷としてです。キリストの受けた打ち傷ゆえに私たちは癒されるのです。イザヤのこれらの聖句は、イエス・キリストが私たちの罪と病の両方を背負った事を示しているのです。

「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」第一ペテロ 2:24 

ペテロもキリストが「罪を負われた事」と「病を負われた事」の二つの真理を書いています。この個所は罪だけを取り扱っているのだという間違った解釈がありますが、ペテロはその両方を一つにまとめてあります。ペテロはイザヤ書の聖句に従って、二つの真理を含めているのです。

「みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです。」第一コリント 11:29-30

「そのため」とは何を指しているのでしょうか?パウロは、キリストのみからだをわきまえないで食べたり飲んだりするために、コリントの人たちの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいると言ったのです。パウロは、打ち傷を受けたキリストのみからだを知らずにただ聖餐の食事をするなら、その恩恵を受け取れないと言っているのです。この個所からも、贖いの中に癒しがある事が明らかです。聖餐式のパンとぶどう酒は、キリストの体とキリストの流された血です。どちらか一つだけを選んでも良いという考え、罪の赦しだけで体の癒しは重要ではないという考えは、主のみからだをわきまえない考えなのです。