旧約聖書
旧約聖書における最初の癒しの箇所です。癒しに関する記録が少ない旧約聖書ですが、信仰の父であるアブラハムの信仰による祈りを通して異邦人が癒された事例がありました。同じ異邦人であるナアマン将軍も、旧約時代に癒された数少ない一人でした。
「そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」第二列王記 5:14
ナアマン将軍はツァラトから解放されました。ここでも、信仰によって歩んでいたエリシャを通して癒されました。
「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」イザヤ 53:3-5
イザヤの預言はキリストの贖いについての描写が他の書よりも優れています。私たちの主が苦しみを受けたのは、私たちが癒される為です。
「そして言われた。「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。」出エジプト 15:26
主ご自身が「癒す者」だとおっしゃいました。病を持ってきて「試練」とするお方ではなく、病を癒すお方なのです。
「主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし」詩篇 103:3
主は、私たちの全ての咎を赦し、全ての病を癒すお方です。
「主はみことばを送って彼らを癒やし 滅びの穴から彼らを助け出された。」詩篇 107:20
父なる神は、御子(御言葉)を送って癒されたのです。
「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、」イザヤ 61:1
「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主はこう言われます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒やす。あなたは三日目に主の宮に上る。」第二列王記 20:5
「しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。」マラキ 4:2