2021年8月10日火曜日

癒しは福音の一部

神の癒しは素晴らしいものだと素直に言えるクリスチャンは正しい考えを持っています。主による癒しの恵みはグッドニュース、つまり、福音なのです。しかし、神の癒しはあくまでも福音の一部であって、それだけが福音という事でもありません。偏った聖書の見方ではなく、バランスの取れた見方が重要です。同じ様に、罪の赦しと永遠の命だけが福音の全てではありません。そこだけを強調していると、多くの現状の問題に対して悲観的になり、再臨や終末論の主張だけになってしまいます。「全ての望みは天の御国に行ってから」という考えは非聖書的です。そこには、圧倒的な勝利者としてのクリスチャンの姿がありません。

「みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。」第一コリント 11:29 

キリストの「みからだ」をわきまえないで聖餐のパンを食べていたコリントのクリスチャンは、どの様な事になっていたのでしょうか?

「そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。」第一コリント 11:30

コリントのクリスチャンの中に病人が多くなった原因が、聖餐に関する正しい知識がない為だったのです。その知識とは、キリストのみからだが私たちの為に捧げられたという真理です。何の理由で主はご自身のみからだを捧げたのでしょうか?

「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」イザヤ 53:5 

主が打ち傷を受けたのは、私たちの病を癒す為です。という事は、主の御心は私たちを癒すという事であり、それは特定の病気だけという事ではありません。また、特別に選ばれた者だけを癒すという事でもありません。主は、全ての人の病気を打ち傷として受けたのです。従って、神の恵みに関して何か問題がある訳ではなく、私たちの信仰に問題があるのです。私たちは癒しに関して信じる努力をせずに、神が何らかの理由を持って癒して下さらないとしているのです。

「イエスは父親にお尋ねになった。「この子にこのようなことが起こるようになってから、どのくらいたちますか。」父親は答えた。「幼い時からです。 霊は息子を殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」マルコ 9:21-24