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このブログの内容の一部を新しいサイトへ移す事にしました。今後は、ジョン G. レイクミニストリーズのライフチームの活動に専念する形で、ここでシェアしていた聖書の知識を献身する人たちを中心に教えて行きます。

ヘブル的視点

歴史的文脈を取り入れる聖書解釈は、福音派で広く受け入れられている方法です。その一部のグループが「ユダヤ性」を強調したのが「ヘブル的視点」のルーツである可能性もあるでしょう。しかし、今日「ヘブル的視点」という言葉が連想させるのはむしろメシアニックジュー(プロテスタント的な信仰を持つユダヤ人クリスチャンで、ユダヤ人としてのアイデンティティーを過度に主張する)であり、「ヘブル的視点」は一つの聖書解釈方法という選択肢を超えて、彼らが「クリスチャンとしてのユダヤ教の正当性」を主張する入り口になりさがっています。 結論から言えば、「へブル的視点」はキリストのからだ(教会)に持ち込もうとしている「現代版割礼」を促すものであり、「非聖書的な聖書解釈」方法です。一見すると単なる解釈学からの観点による議論で終わりそうなのですが、解釈学から単独で「へブル的視点」が生まれたのではありません。その背景にはディスペンセーション主義も関係しています。とはいえ、アメリカでのディスペンセーション主義は「ユダヤ人と異邦人」の厳密な区別にこだわる考えよりも終末論のサポートが強いので、全てのディスペンセーション主義者が「へブル的視点」を主張しているわけでもありません。 「へブル的視点」のルーツを考えるのなら、ディスペンセーション主義を主張する福音派の一部のグループによる極端な考えが発端の最有力候補でしょう。その後にメシアニックジューたちが参加して現在に至っていると考えられます。「へブル的視点」がある程度神学的に受け入れられている状況が既にあるのなら、ユダヤ教がキリストのからだに入っていく事はたやすいでしょう。そのチャンスを掴んだサタンは、新しい形で「割礼」を持ち込む事に幾らか成功させたのです。 聖書の理解 「ヘブル文化を知らないと聖書の著者の意図を誤解する事になる」という主張は、正しいとも言えます。旧約時代のイスラエルの背景も基本的な部分は知っておくべきかもしれません。しかし、当時の歴史・文化を事細かく知らないとダメだとするのは、いかにもパリサイ人的な考えに過ぎず、そこから生じる「素人は手を出すな」という主張はまさに異邦人いじめそのものです。「ユダヤ人の伝承だから信用できる」というのは昔からサタンによってなされる策略の一つです。 「こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空

DHTT(神癒技術者訓練)の勧め

過去にジョン G. レイク以外でアメリカで活躍した癒しのミニストリーとその知られていた人たちは、主にヒーリングリバイバルの中にいた人たちと、その後のカリスマ運動で活躍した人たちです。その中には、ケネス・へーゲン、オーラル・ロバーツ、キャサリン・クールマン、ジョン・ウィンバー、ベニー・ヒンなどがいます。しかし現在、神癒に関して最も正確な教えをしているのがカリー・ブレイクです。 ジョン G.レイク のミニストリーを受け継いだカリー・ブレイクは、今から約二十年前に彼の子孫から DHTT(神癒技術者訓練)のマニュアルを受け取りました。そこから彼による癒しのミニストリーが今世界に広がっています。約十年前にアメリカで始まったストリートヒーリングは彼の教えが元になっています。彼はジョンG.レイクのミニストリーを復活させていますが、それはジョン G. レイクの預言に基づくものです。カリー・ブレイク氏と JGLM(ジョン G. レイク ミニストリーズ)は、キリストのからだ(エクレシア)に正しい癒しの教えを復活させました。しかも、彼の教えはただ癒しに関してのものだけではなく、その全ての教えにおいて最も新約聖書に近いものになっています。 今から数年後には純粋な福音がようやく復活する事になります。この事が意味するのは、私たちが正しく理解していたと思っていた「福音」が正確ではなかったという事です。この事実はクリスチャンにとって大きなショックになる事でしょう。一つ違うのは、この真理の回復はピーター・ワグナーがよく言ったような「聖霊の新しい動き」ではありません。単純に、使徒たちの実践していた福音がどの様にして理解されるべきだったかを、カリー・ブレイクやその他の人たちが新約聖書をよく読んで気づいただけです。「聖霊が新しい啓示を示した」という事ではありません。そうやってピーター・ワグナーたちは、多くの人たちを巻き込みましたが、実は彼らはそれ程正確には聖霊の声を聞いていなかったのが、今になって明らかになりつつあります。これからも一般的に知られている「霊的な教え」の幾らかは正確ではないという事が明らかになるでしょう。もうその時が来ています。 カリー・ブレイクが教えている内容は、パウロたちの言わんとする事を読み取っただけで、多くの教理の中に間違いがある事に気づいて、修正しただけす。この事は、癒し

神聖な牛

Sacred Cows という英語のイディオムは、公然の抗議などを恐れて、修正されたり批判されない様なものを作り上げる事を指す時によく使われます。対象は人だけでなく信念体系などの抽象的なものも含みます。この比喩的な「神聖な牛」は、それに対する疑問や批判から免れられる為に、それが絶対的な存在である事を主張します。 教会の歴史の中であたかも当たり前の真理として教えられてきたものが、実は新しい契約の下での教えではなかった、と解説する事をしばしば英語で「killing the sacred cows」と表現されます。「神聖な牛」はいわゆる偶像礼拝の象徴であり、その牛を殺してしまう事は主に律法主義の古い考えを排除する意味があります。最近ではアンドリュー・ウォーマックがその様な方法で聖書を教えているのが良く知られていますが、このスタイルの聖書の教えはもっと前から存在していて、「御言葉の宣言」の教えで有名なチャールズ・キャプスも80年代に出版した本のタイトルに sacred cows を用いています。 多くの間違った教えを聖書的に解説していく事は、真理へ導く最も効果的な方法の一つでしょう。長年信じてきた教えを手放すのはある種の勇気が必要ですが、それらが聖書的に曖昧な教えである事を素直に認めた時、より明確な真理を追究する姿勢が生まれます。このブログでは既に多くの「人の伝統的な教え」について指摘してきましたが、それらを分類別にして見ていきたいと思います。 尚、ここで言う「人の伝統的な教え」とは、主に神学的な理論、教団が固執する教理(教え)や一部のグループに特有なドグマ(個人的な偏見や意見)などを含みます。しかし、ドグマなどの考えは多くの教派に支持されていない事を根拠に、主に教理となっているものを「神聖な牛」とします。 御霊の導きに関するもの 御霊の声 油注ぎ 神の臨在 御霊の賜物 曖昧な教えの中でも癖のあるものです。主にカリスマ派・聖霊派に特有なドグマとして知られています。これらは曖昧なものとして理解されている為に乱用されやすいです。数年後に「あれは聖霊ではなかった」と認めた人たちでも、彼らが教えていたものはそのまま存続しているのがたくさんあります。カリスマ派の人たちは聖霊の働きをミステリアスで神秘的なものとしてもはや偶像礼拝しています。必要以