2021年9月4日土曜日

癒しと神の御心

神の癒しがキリストによる贖いに含まれているなら、過去において既に起きたという事実と見なす事ができます。歴史的な事実としても、十字架の御業は既に完了しているものとして見る事ができます。従って、病の癒しが神の御心かどうかは、キリストの贖いの中にそれが含まれているかどうかがとても重要になります。そして、その事は聖書が既に示していて、私たちはイエス・キリストが私たちの病の為に打ち傷を受けた事を知る事ができます。すなわち、病の癒しはキリストの贖いの中にあるという真理を知る事ができるのです。贖いの計画は神の御心の中心的なもので、病の癒しは神の御心の中心的なものです。

キリストの贖いは私たちにとって素晴らしい神の恵みの表れでした。それが示している事は、神の御心は私たちにとって良いものであって悪い事ではありません。ちょうど、神ご自身が常に良いお方である様に、神様の御心はいつでも私たちにとって良い事です。この理解を土台にすれば、病気は悪いものという認識は難しくないでしょう。実際に、人が病気になる事は神の御心ではないのです。しかし、贖いが癒しの中に含まれていると認めている人でも、「例外もある」と考えている人もいます。

例えば、「神様は時には病いを通して私たちを訓練する」という言い方をすれば、神の御心は「時には私たちにとって悪いもの」になります。しかし、単純に考えましょう。病気を持ってきておきながら、それを私たちの成長の為だとするのは本当に神様がやる事なのでしょうか?癒す神が病気を与えるのでしょうか?「神様は私たちに病気を与えて訓練する」という人達でも病院に通ってその病いを取り除こうとします。しかし、そうするなら、彼らは神の御心を取り除こうとしているのです。

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ:29:11

神が旧約時代のエレミヤに言った神の計画とは「平安を与える計画であり、将来と希望を与えるためのもの」です。古い契約に生きていたエレミヤに対する神の計画が良いものであるなら、新しい契約の中にいる私たちに対する神様の計画はもっと良いものです。何故なら、私達の新しい契約は古い契約よりも優れているからです。神様は、古い契約にいた人々に対して良い計画があると言いました。当時のイスラエル人は新生を経験していなかったので、神の子ではありませんでした。しかし、私たちはキリストにあって神の子となっています。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」ヨハネ 1:12 

神の癒しが神の御心であれば、それは全ての人々へのものです。何故なら、神にはえこひいきはないからです。神の癒しが神の御心であれば、私達に癒しを受取る為の方法を教えて下さる必要があります。神は人がその御心を知る事ができるようにし、そしてその恵みを受け取るようにしなければ、私達にとって何の意味もありません。しかし、神様は良いお方なので聖書を通して御心を知らせて下さいました。

神はその御心が成就されようとする時に、神ご自身が妨げる事はしません。しかし、その邪魔をするのは私たちの敵である悪魔です。敵が⼀番望むのは、人が神の御心を受け取るのを妨げる事です。

「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。」ヤコブ1:22

神の御心の要約

「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。」マタイ7:12

「そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めもそれと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」マタイ22:35-40

病気に倒れて困っている時に、癒しの為に祈って欲しいと誰でも思います。ですから、信者である私たちは病人の為に手を置いて癒していく大宣教命令があります。神が癒す事ができるかを疑う人はいません。クリスチャンは皆、神には問題なく癒す力があると信じています。疑いが生じるのは、癒しが神の御心かどうか確信がない時です。

神の癒しの御心

私たちが知るべき事は、神はいつも病人を癒したいと願っているという事です。救いたいと願っているお方が「癒しは別」と考える事があるでしょうか?その事に矛盾を感じないのは、間違った教理で真理が分からなくなっているからです。

「すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心⼀つで、私をきよくしていただけます。」イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。」マタイ 8:2-3

この箇所の 「心」のギリシャ語は意志を表わす thelo という語です。積極的に~をする事を望むという「意志」を表わす語です。イエス様は、このツァラアトに冒された人に対して癒す意思があると言ったのです。

時には神は病人を癒さないという「例外」を信じている人は、神にしか分からない「特別なケース」があると考えています。しかし、例外として神は病人を癒さないという事が実際に起きているのでしょうか?むしろ、癒されるのが例外という程、癒しの数が少ない状況が現実なのです。時々、「癒されない例外」があるよりも、「癒される事が例外」になっている今の現状は、私たちの御言葉に対する正しい理解と信仰が原因なのです。