2021年9月15日水曜日

病の癒しの祈り その4

「まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」マルコ 11:23-24

このイエス様の教えからも祈りが宣言である事が分かります。まず最初にやるべき事は、問題である山に向かって宣言する事です。その時に、心の中で疑わないという事が条件になっています。また、自分の言った通りになると信じる者には、その通りになるとあります。自らの宣言の通りになるのであるなら、既に得たと信じる事と同様であるとイエス様は言っているのです。それが24節です。

病気という山を動かしたいのなら、それに向かって退く様に言わなければなりません。その時、心の中で疑わない事が条件になります。そして、言った通りになると信じるなら、その通りになります。これがイエス様の教える祈りです。この祈りから分かるように、神様にあなたの問題を知ってもらう必要はありません。問題の詳細や、いかにその問題のおかげで苦しんでいるかを訴える必要もありません。何故なら、神はそれらを既にご存知だからです。特に、癒しの祈りに関して言えば、必ずしも神様に病状を知ってもらう為に言う必要がないのです。

私たちは神様に「~の事で困っています。神様、助けて下さい。」という祈りをして来ましたが、むしろ、「問題と問題の背後で働く悪霊ども、イエスの御名で命じる。出て行け!」なのです。何故この様な祈りが新生したクリスチャンの祈りになっているかと言えば、まず、イエス様が打ち傷を受けて私たちの病を取り除いて下さったからです。この約束があるゆえに、神様に癒してもらう為の嘆願が必要ないのです。何故なら、既に御言葉の約束によって既に癒されているからです。また、何度も言いますが、私たちが神の子として新生されたゆえに、神の権威が与えられているので、病気に命じて去る様に言うのです。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」ヨハネ 1:12 

新改訳聖書では「特権」という訳にしていますが、これはギリシャ語の exousia という語で「権威」という意味を持ちます。神の子供であるクリスチャンは、神の権威を行使できます。それは、イエス・キリストの名を使うという意味です。私たちがイエスの御名で祈る時には、その御名の権威を使う事を知らなければいけません。ただ理由も知らなくて宗教的・儀式的にやってしまうと恩恵がありません。その御名で悪霊を追い出し、病を癒すのですが、多くのクリスチャンはその実用性を知りません。それが聖書にある事くらいは知っているかもしれませんが、日常で有効に使われていないのです。

「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。」使徒の働き 3:16 

信仰を持って新しい契約に沿った御言葉の教えを宣言するなら、その通りになります。そして、病の祈りをこの御言葉の法則当てはめるなら、病を敵からの攻撃だと見なして追い出して行けばよいのです。敵を知らずに神様にお願いする従来の間違った祈りで癒しを期待するのなら、1割の確率しか期待できないでしょう。実際に、教会で癒しが見られるのは1割くらいだと言われています。主の憐れみはありますが、主は私たち自身が神の子として戦って勝利を掴む事を望んでおられるのです。従って、癒しを戦いと見なして祈っていくなら、より多くの癒しを体験する事になるのです。