2021年9月17日金曜日

神が癒さない事もある?

神が意図的に特定の病人を癒さない事があると信じているクリスチャンは多いものです。しかし実際には、既にキリストの打ち傷によってあらゆる病気は癒されています。癒しは贖いの御業の中にあるのです。従って、神が癒すかどうかは問題ではありません。真の問題は、癒しの約束を信じ、信仰の戦いに勝って現実を変えて行く所にあります。

「救う」というギリシャ語は sozo ですが、この語は「病気からの救い」も含まれています。総合的な「救い」という意味があるので、病気からの救いなら「癒し」と訳されても構わないのです。或いは、「解放」と訳されても構いません。ですから、救う神は癒す神であり解放するお方である事を私たちはしっかりと認識しなければいけません。キリストはあらゆる形の虐げから救う為に来られ、既に私たちを救ったのです。癒されていないという現実は神のせいではありません。むしろ、私たちがその癒しの約束をどうするかが問題であって、聖書の約束によるとその真理を信じて受け入れれば解放されるという事なのです。

多くの人たちが、病の癒しが「救われる事」より難しいと考えるのは、目に見える一部分に結果の全てが反映されていると思っているからです。しかし、ただ肉の目で見ているものは、全体の一部分であって結果の全てがそこに表されているのではありません。癒しに関して言えば、キリストの打ち傷によって既にあらゆる病は癒されているのです。これは真理です。現実はそれとして認識します。しかし、信仰によって御言葉の真理に立つなら、見ている現実が真理の力によって変わるのです。

肉の目で見ている現状は、本当に何が起きているかの一部分に過ぎません。常に肉の目で歩んでいるなら、悪霊の存在を知らずに歩む事と同じです。たとえ聖書を知っていても活用していない歩みは信仰による歩みとは違います。悪霊がどの様に働いているかを知らずにいると、神の武具を身につける心構えのない生き方になります。自らの油断が癒しの信仰を持てていない事だと認識して、大人の考えで歩み始めるなら勝利を見る事ができます。

私たちは長い間、癒されないのは神様の特別な計画として、神が癒さない理由を持っているとして来ました。それは、癒されない現状は神のせいにする事と同じなのです。病気は神からの試練ではありません。その様に見える現実があっても、それは真理ではないのです。それを神の御心と信じるのなら、サタンと悪霊の思うつぼです。私たちはむしろ悪に向かって戦って勝利を奪い取って行く必要があります。以前の私たちは、病気を神からのものとして受け止め、信仰の戦いをせずに諦めていました。しかし、もうその様な幼子の考えから卒業する時代に入っているのです。