2021年7月21日水曜日

聖書が教える癒し その3

イエス・キリストが私たちの永遠の命であり癒しです。その事を示しているのは聖書(神の言葉)です。神の言葉は旧約聖書と新約聖書に分けて読む事ができますが、どちらを読むにしろ、真理がより明確に示されている箇所がより重要となります。ごく一部の旧約聖書の箇所を除けば、真理がより明らかに記されているのは新約聖書です。

「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」イザヤ 53:5 

イエス・キリストが私たちの為に受けた打ち傷のゆえに、私たちは癒しを体験する事ができます。イザヤ書はキリストの贖いについての啓示が書かれている事で知られています。この聖句に出てくる「癒し」を意味するギリシャ語 ἰάομαι(iaomai)は主に「肉体的な癒し」として使われています。旧約聖書をギリシャ語で書いた七十人訳という聖書がありますが、これは弟子たちが読み、イエス様も引用した聖書です。誤解されがちですが、へブル語で書かれた聖書だけが権威があるという訳ではありません。

「主は あなたのすべての咎を赦し あなたのすべての病を癒やし」詩篇 103: 3

驚く事に、イザヤの預言よりも二百年以上も前にダビデは神が全ての病を癒す事を知っていました。全ての咎(罪)を赦す事のできる神様は、全ての病を癒す事のできるお方です。例外はありません。誰かが特別だという事で神様が癒さないという事はなく、罪を赦さないという事もありません。全ての人の罪と病の為の代価はキリストの十字架を通して既に完済されています。後は、その恵みを信じる事が鍵なのです。

そういう訳で、まず私たちが知らなければいけないのは、キリストによる神の恵みを聖書から知って信じるという事です。神様が病をもたらすと考えている間は、その誤解の故に、神様を信頼する事はできません。神様を信頼できない状態が不信仰なのです。しかし、主はいつも良いお方であって、私たちに恵みとあわれみの冠をかぶらせて下さるのです。