病がなければ、癒す必要はありません。ある意味、病があるからこそ、それに対して信仰によって立ち向かう必要があるのです。私たちの持つべき認識は、病を敵と見なして立ち向かうものです。実際、病は敵であるサタン・悪霊からもたらされる事もあります。病が間接的に悪霊から来るケースを含めて考えるなら、大抵の場合、病は敵から来ていると言っても過言ではありません。私たちは今まで「病気も神からの試練」という事をヨブ記を通して聞いてきた為に、神様について勘違いしていました。しかし、主は良いお方です。
「すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。」ヤコブ 1:17
しかし、私たちの敵は盗み、殺し、そして滅ぼす者です。そうした敵の攻撃を知らずに平和ボケしてしまっていた「なまぬるいクリスチャン生活」から抜け出るには、真理を知る事が必要です。そして、その真理はイエス・キリストによって実現したのです。
「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」ヨハネ 1:17
古い契約の時代において律法は有効でした。しかし、新しい契約はイエス・キリストの十字架の御業の完成後に始まり、主ご自身が恵みとまこと(真理)を実現されました。つまり、神の恵みと真理は人に明らかされているのです。それまでは、神の恵みと真理は律法という影、または、預言という部分的で抽象的な言葉で表されていました。しかし、キリストによって何が恵みで何が真理かがはっきりと示されたのです。
この事から、私たちが注目しなければいけない聖書は、主に新しい契約の内容であり、福音の奥義の部分なのです。癒しに関して新約聖書が示している重要な真理は次のものです。
- キリストが打ち傷によって全ての病を癒されたという恵み
- 信仰によって恵みを現実化するという事
- 病を持って来る敵との戦い、信仰の戦いがあるという事