2021年7月21日水曜日

聖書が教える癒し その2

ちょうど永遠の命の答えがイエス・キリストである様に、イエス・キリストはあなたの病の癒しの答えです。何故なら、聖書はその真理について明らかにしてあるからです。

「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」ヨハネ 10:10 

ここでイエス様が言っている「羊」とは、イエス・キリストを信じてついて行く人たちです。キリストを信じて歩む人たちが「神の命を豊かに得る」為なのですから、私たちが病に苦しむのであれば、それは神の命を豊かにしている状況ではありません。病という束縛から私たちを解放する為に、イエス様はご自身の命を捧げられました。キリストの命の中に癒しも含まれています。そしてこの犠牲は神による恵みであり、この恵みゆえに私たちの信仰によって、私たちは永遠の命も病の癒しも得る事ができます。

キリストの十字架は歴史的に起こった事実として知られています。ですから、イエス様が代価を払って下さったという事実は過去の出来事として私たちは見る事もできます。という事は、既にイエス様が私たちの病の為に代価を支払ったという事実を見る事になるのです。それが理由で、この恵みをただ信じるだけで、誰もがどの様な病気であっても、癒しを体験する事ができるのです。

基本的に、神の恵みを信じるという信仰の法則が癒しの聖書的な原則となっています。そして、既にキリストの打ち傷によって癒しが確定している為に、悪霊などのいかなる障害も存在してはならないのです。

「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」第一ペテロ 2:24 

2000年以上前に病を担われたイエス様は、私たちの成長の訓練の目的で病を持って来ません。病とは神様から来る訓練ではないのです。病の癒しが神様からのものであって、既に処理して下さった問題を神様は「訓練」として再び持って来る事はあり得ません。