聖書にある真理は私たちを自由にします。しかし、その真理は最初から明らかにはされていません。旧約聖書の時代には、多くの真理がまだ隠されていました。啓示を多く与えられていたダビデでさえも、パウロが語っている福音の奥義について知らされていませんでした。しかし、現代の私たちは聖霊がパウロに示された福音の奥義を、彼の書簡の中から知る事ができます。神様は長い時間を掛けて徐々に真理を明らかにされたのです。癒しの真理に関しても同じです。
神様が徐々に真理を明かされたという事を知れば、聖書がとても分かりやすくなります。これは聖書を理解する重要な鍵となっています。すなわち、私たちが最も重要な福音の奥義を学ぼうとする時、旧約聖書ではなく新約聖書に注目しなければならないという事です。癒しという福音(グッドニュース)は、旧約時代には、まだ明らかになっていない部分が多くありました。実際、それが主な理由で多くの癒しの記述が見当たらないのです。しかも、当時の人たちは、敵であるサタンが病をもたらしている事実を知る事もありませんでした。しかし、神様は常に癒すお方であり、その性質は変わる事がありません。
「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。」へブル 13:8
多くの人が気づいていないかもしれませんが、神様は、いつもどの時代においても(旧約時代においても)愛のお方であり癒す方なのです。しかし、当時はその真理がまだ明らかにされていなく、その真理を大胆に信じて歩もうとした人も極端に少なかったので、癒しという奇跡は殆ど起きていなかったのです。
私たちは、癒す力を持っている神様側に何か問題があるとよく勘違いをしています。しかし、問題はいつも私たちの方であり、それは私たちの信仰の無さなのです。主は信仰によって歩む人たちを大いに喜ばれます。
「イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。」マタイ 8:10
「そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。」マタイ 15:28